先日友達ともつ鍋を食べに行って、その時に超かぐや姫!が面白いという話を聞きました。聞くとその友達回りは皆見ているらしく、私だけ見てないっていうのも寂しいし、面白いというのなら尚のこと見たいと思いました。
最近よく映画を見に行くのでKINEZOで名前は知ったのですが、元々Netflixでしか配信していないらしいですね。劇場公開は一週間限りで、Netflixで見て映画館で見たいというファンがどうやらいっぱいいたみたいです。KINEZOで数万人待ちとかいう聞いた事がない状態だったとか。
私は昨日見に行ったのですが、確かに2日前に座席表を開くと午前の公開はもう予約出来ませんでしたね。結局予約した時間帯も8割方席が埋まっていました。これはもう相当面白いんだろうなと期待に胸を膨らませて席に着きました。このご時世に珍しくほぼ前情報なしということもあって余計に。唯一知っていたのは、友人から聞いた「オタクはこれ好きだろ?って感じの映画」という情報でした。
結論としては面白かったし、もう一回見たいと思いました。これは確かにNetflixで見た人が映画館で見たいと思うのも分かりますし、予約が取れないのも納得でしかありません。というか、寧ろなぜ一週間限定公開なのかと思ってしまいます。素人ながら内容的にリピーターが見込めそう、つまり興行収入が稼ぎやすそうな気がするんですけどね。
パワーこそ正義を地で行く作品
歌上手すぎ
「早見沙織歌うっま」が最初の印象でした。堪能なのは知っていましたが、私が知っているのってデビューシングル発表前のキャラソンとかがメインの時期で、それから10年以上経ってその成長ぶりに驚きました。上手くなるにしても限度がある。ちなみに早見沙織さんで好きな曲はSAOのMemory Heart Messageと俺ガイルのHello Aloneです。
同じことはかぐや役の夏吉ゆうこさんにも感じました。Wilipediaによると、今は亡きSHOW BY ROCK!!でデビューし、アサルトリリィやウマ娘等で数多くの楽曲に携わっているそうです。あとこれは本当に初耳でしたが、うたごえはミルフィーユという音楽プロジェクトにも参加されていたそうで、この辺りが彼女の歌唱力の秘密なのかもしれません。
私が声優をコンテンツとして楽しんでいた10年前から既に多角化は進んでいましたが、今はそのクオリティが桁違いですね。昔から声優は養成所から事務所と契約出来るのが1割、そこから継続して仕事を貰えるのが1割なんて話がありますが、絶対今はそれ以上の難易度だろうと思ってしまいます。目指す人にとっては険しく、そして消費者としてはありがたい話です。
絵が綺麗
監督の山下清悟さんはアニメのOPEDの絵コンテをよく担当されていたそうで、最近だとチェンソーマンのOPは彼が絵コンテ、演出、撮影監督を担当されていたとのこと。だからか絵の綺麗さやアニメーションの質は凄かったですね。
それが伝わるのがキャラクターの表情とライブモーションです。かぐやが天真爛漫な性格で、デフォルメ調のギャグ顔から花火の時のリアル寄りな表情、ライブシーンではそれに動きまで加えて彼女のキャラクターを表現していました。おおよそ一人のキャラクターで描ける表情差分は全部出したんじゃないかってぐらい動きが多くて、見終わる頃にはやり切った感みたいなものを感じました。
要素てんこ盛りの脚本
この作品はとにかく要素が多い。竹取物語のストーリーに百合と母との確執と兄妹喧嘩を加え、VRにVTuberにVOCALOID、最後にはBUMP OF CHICKENのrayですよ。それだけ要素を入れているものだから、さすがにまとまりがあるとは言えない脚本になっていますが……これはもう飽和攻撃ですね。
この超展開な脚本が、ある意味超かぐや姫!という作品を象徴しているのかもしれません。竹取物語も百合も確執もVRもVTuberもボカロもバンプも「こんだけ打てばどれかは当たるだろ」みたいな脚本でした。これに歌唱力やアニメーションのクオリティも加わるわけですからパワーこそ正義、パワーは全てを解決するって感じの作品だと思います。
でも熱狂は出来たかと言われると……
ということで内容的には大満足、熱狂も理解できます。ですが私自身は皆と同じような熱狂はなかったというのは事実としてあります。
これが凄く微妙なニュアンスで、心から面白いと思いましたし何回も見たいとも思う気持ちに嘘はないのですが(実際ネトフリ契約して今見てます)、じゃあ同じく超かぐや姫!が好きな人に距離をガン詰められたら多分引いちゃうんですよね。
感性の違い
何故かってことを考えた時に2つの理由が思いつきました。ひとつは選曲で、rayとかハッピーシンセサイザーとかメルトとかがハマりませんでした。この辺りって私がUVERworldにドはまりしていた時期に流行った曲で、全く通って来なかったんですよね。あの頃聴いていたらもっと盛り上がれたのにと、ちょっと後悔しています。
これは単純に感性の違いで、皆と同じように熱狂が出来なかっただけです。私は面白さと熱狂出来るかどうかは全く別の要素だと思っています。面白くない映画でも熱狂する人はいますし、その逆も然り。これを熱狂出来ない=面白くないと紐づけて語るのはちょっと違いますね。
先ほど書いたように超かぐや姫!という作品にはパワーがあります。曲が刺さらなくても百合で刺す、百合が刺さらなくてもアニメーションで刺す、アニメーションで刺さらなくても演技で刺す、みたいに二の矢三の矢があり、私の場合はアニメーションがぶっ刺さったわけです。この飽和攻撃の当たり判定の広さこそがこの作品の凄み。マジもんのパワープレイ。そして人によっては曲も百合も絵も刺さって、その結果熱狂というフェーズになったのだと思っています。
中途半端感は否めない
もうひとつは脚本ですね。これはもう構造上仕方がない話です。どうしても要素を詰め込み過ぎた分、中途半端になってしまった感は否めません。家族関係の話は情報不足でしたし、設定はツッコミどころ満載でした。百合のところは百合をどう解釈するか、どのレイヤーで楽しむかによるので何とも言えませんが。
だからといって安易に「書ききれない要素を出すな」っていうのもちょっと話が違うと思うんですよね。この辺りを曖昧ながらも描いたことは主人公の彩葉に共感する隙を作っていたと思っていて、結果的に物語への適度な没入感になっていたと考えています。チェンソーマンの時に自認レゼという言葉が流行りましたが、多分この超かぐや姫!でも自認彩葉が大量発生した、或いはしていくのではないでしょうか。それはつまり、この曖昧な家族要素が熱狂を引き起こすトリガーだったという証拠ですからね。
これはいつか別の記事で書こうとしていたのですが、正直今時の作品でストーリーの面白さで感動させるってほぼ不可能だと思っているんですよね。どんなに良い話を書いても「それって○○のパクリだよね」ってなってしまうので。
だから脚本家に求められる力って、面白い話を掛けるか否かよりも、こういう複雑な要素を纏めたり、視聴者が分かりやすい形で提供する構成力とかだと思っています。それは突き詰めれば人の心の仕組みを解き明かす行為であり、夏生さえりさんの脚本からはそれを強く感じました。
熱狂を生むプロセス
この作品で私が注目しているのは「なぜこんなに熱狂する人が生まれたのか」という部分です。考えれば考えるほど興味をそそられる部分が多くて、
- なぜこんなにパワフルな作品を作ることが出来たのか=どうやってリソースを確保したのか。
- なぜ要素を足し続けることを選んだのか。引き算は考えなかったのか。
- どこまでが意図的で、どこまでがコントロール外なのか。
一番興味深いのは、やはりどうやってリソースを確保したかというところですね。マジで制作費と制作期間が気になります。どのぐらいの制作費用や期間が掛かったのか、或いは掛からなかったのか。もしここで「そんなに掛かってないよ」って話であれば、アニメ制作に何かしらの技術的革新が起こっています。まあそんな話は聞いたことがないので、多分相応に金も時間も掛けているはず。
私の仮説では、やはりNetflixの配信がキーになっている気がするんですよね。最初から映画館での上映前提で作ると、上映スケジュールを埋めるという形でお金が発生しますが、配信だとそれがないわけですから。代わりにアニメ制作会社と配信サービス会社の間で契約が結ばれるわけですが、その差分は映画館を占領するのとどのぐらい差があるのか。その差がリソースを生み出しているというのが私の仮説です。
またこれは創作論の話ですが、なぜ足し算足し算で作ったのかというのも気になります。先にも触れたようにこれによって中途半端になった感は否めないわけで、それを由とした理由はヒットに対する先見の明だったのか、それとも監督の感性だったのか。
この作品作りって、私の趣味趣向とは真逆なんですよね。シンプルであればあるほどいいというのが私の考え方ですが、超かぐや姫!は色々詰め込んだ結果としてちゃんと面白いと感じました。「ここまでは足していい、これ以上はダメ」と明確に線引き出来るものではありませんが、どういう基準で足していったのかは気になります。
こういった感じに「なぜこんなに熱狂する人が生まれたのか」というところについて、私は熱狂しています。正直、根本的には私と真逆の感性で作られていると思っているんですよね。それはつまり私が消費者として、そして自身の創作においても避けていた部分で、私自身が面白いと思えるものを作ったということであり、終始「こういう面白さがあるんだ」とずっと目から鱗って感じで見ていました。
こんなパワフルな作品に出会えるなんて良い時代に生まれたなと思います。徹夜上等の採算度外視で作品を作れてしまった1980~90年代から、今は比較的労働環境が改善されたという話で(それでも尚アニメーターの平均年収は450万ですが)、それ自体は喜ばしいものの作品作りという観点でそれが縛りになる事実は否定出来ません。リソースが律速され、加えて表現規制も進み、今は色々な制約がある中で面白い作品を作らなければならない難しさがあると思います。よく俳優が主演声優を務めて棒演技する映画がありますが、あれも縛りのひとつだと思うんですよね。そうしなきゃ集客が見込めないっていう。そういう時代に、この超かぐや姫!というリソースの暴力みたいな作品が生まれたことは、とても喜ばしいことだと思います。
リソース繋がりで言うと、この作品には松岡禎丞さん演じる駒沢乃依というキャラクターが登場するのですが、あまりにもエ〇すぎて脳のリソースの90%ぐらいを持って行かれました。以上です。